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初めにリサイクルありき -(完)-

 さて、この 第2章 大切な“遺産”をどんどん食いつぶす再生紙 は七つの項で構成されています。
 内、済ませた二つに続く五つの項については、類似性を帯びている関係上、纏めて検証してみることにしましょう。
 大学教授でもある著者は、紙のリサイクルについて、大学の研究室で学生とゼミを実施した時の様子をリアルに描写しています。その様子がなんとなく「演技じみて」いるように感じられ、読みづらい思いがするのは我慢するとしても、納得しかねる部分が多々有るのを看過するわけにはまいりません。先ず、当該学生さん達の ありえない! とも思える「学究の徒」としての希薄さ、であります。すなわち学生さん達は、研究を進める過程で、紙のリサイクルについて製紙メーカーや、関係機関に対し、研究に必要なデーターを求めてもなかなか応じて貰えず、だんだん元気を無くしてしまった。というのです。が、驚いたのは、そのデーター(「本や文献では調べられないような段階・・」のデーターだそうですが・・・)の内容が「・・・たとえば紙をリサイクルするときに現在キログラム当たりどの程度の費用がかかっているのか、どの程度の大きさのトラックで運ぶのか、トラックの寿命はどの程度か、インクをとるのに実際にどの程度のエネルギーを要するのか・・・」とか「紙のリサイクルに自治体がどの程度の費用を負担しているのか、紙のリサイクルを専門に営業している会社の実態はどういうものか、税金を使って紙を回収するのをやめても製紙会社はリサイクルを継続するのかなど、・・・」といった類のものだというのです。紙のリサイクルに要するキログラム当たりの費用は、製紙メーカーの卸価格と生産量、一株買うだけで送られてくる詳細な決算書及び付属明細書の内容等から、容易に導きだせます。又、トラックの大きさは、工場を出入りするトラックをよく観察すれば分かりますし、トラックの寿命は税法における減価償却の耐用年数を参考にすれば簡単に知る事が出来ます。インクをとるのに要するエネルギーに至っては、大学や学会の理工学系各実験室や研究室が正しく解答するのをお家芸としているはずのものでしょう。さらに自治体の費用負担については、学生さん達の自宅に配られてくる、都道府県便り、市町村便り等で身近に知る事が出来ますし、全国的には各行政に問い合わせれば、すぐに分かることです。紙のリサイクルを専門に営業している会社の実態については、京都府南部ならば「株式会社アライの森」という古紙卸売業を営む会社や全国に散在する同業他社が懇切丁寧に説明してくれるはずです。そして、税金を使って紙を回収するのをやめても製紙会社はリサイクルを継続するのか・・・という疑問に対しては、学生さん達には少し失礼にはなりますが、「誠に愚かな質問」と言わざるを得ません。紙の回収に税金を使うか、使わないかは、古紙価格の市場原理に基づく動向との相関関係により、生じたり無くなったりするだけのことで、製紙メーカーは紙のリサイクルに税金が使われようが使われまいがそんな事とは、「全く無縁、我関せず」の姿勢で紙の製造を行って来ており、今後もその姿勢が変わる気配がないのは、一般常識としても、十分に知られ理解されている事実だからです。
 このような事からも、著者が誤った表題に正当性を持たそうとして、無理な記述を重ねているのが透けて見えてくるのです。
 次に学生さん達は、「日本の紙の消費と熱帯雨林の減少とは何の関係もない・・・・」等の調査結果が明らかになるにつれ、「紙のリサイクルの意欲はついえました。」とありますが、何故その理由が、現在熱心に行われている紙のリサイクルの御かげでもあり得る、というところに考えが及ばないのでしょうか。 
 不思議に思えてなりません。
このような学生さん達の様子を、著者は「まだ年齢が若く利害関係も少なく、物事を率直にみる学生だからでしょう。」と肯定的に述べていますが、読者の側からしますと「教授の指導にコントロールされて、真実を見る目を失い、いわゆる“木を見て森を見ず”を地で行った上、行動力と熱意を無くしてしまった、怠慢な学生さん達」と言わせてもらわざるを得ません。
 又、著者は「・・・紙をリサイクルするために石油からの燃料や鉄鉱石からのトラックを使うのはなぜか?」と疑問を呈するのですが、紙を木材パルプから造る場合もこの条件は全く変わりません。そして、この章のはじめに述べられた、「遺産と月給」との関係に戻って「紙のリサイクルとは“月給を使わないで、遺産を使う行為”ということになります。」として、紙のリサイクルを否定しようとしていますが、これを引用して言い換えれば、「紙を木材パルプから造るということは“月給を使った上に、遺産まで使ってしまう行為”ということになります。」となり、結果として紙のリサイクルを肯定することになっているのです。
 古紙をリサイクルして造られる再生紙は、社会の人々に紙の大切さを認識して貰うことにも繋がり、紙を乱雑に、無駄遣いせず裏表まで使った後、又リサイクルに回すという意識を植え付けるのにも役立っているのです。
 人間社会の繁栄と、それに伴う人口の増加、そして科学の進歩は、反面、人以外の存在を圧迫し傷めつけ、自然破壊を招いてしまうことにもなりつつあります。この事を著者は「人間の活動と自然の関係をイオウ(硫黄)という元素を尺度にしてしめします。・・・そして現在では大自然が放出する実に約3倍の量を人間が放出していると推定されているのです。・・・人間全部をあわせると地球の3倍の活動をしているということです。すでに大自然の3倍の背丈をもった人間がやり放題をすれば地球全体が弱ることは言うまでもありません。」と、科学的、実証的に分かりやすく記述してくれています。このような危機的状況から著者は、現在、鉄や銅、アルミニゥム、金や銀、亜鉛、ニッケルや大切な元素のモリブデンなどといった資源があとどのくらいのこっているかという研究が行われています。とした上でそれぞれの資源によりあと20~30年、40~50年、60~200年と推定される寿命です。といった内容を示し、寿命が尽きてなくなった場合の具体例を挙げて憂いています。しかしながら、これらの資源は、それらを元にして造られた原材料や、各種製品にその姿を変えるだけであり、一部には現在の科学で再生出来ないものが課題として残りますが、再生出来る鉄や銅といったものまで、寿命が尽きてしまう、無くなってしまうと騒がなければならないとは思えません。それらは地中に埋もれているか、地上で加工品としてあるかだけのことで、1グラムたりともなくなりはしない筈です。「物質不滅の法則」にこの際、改めて人の叡智を傾けてみては如何でしょう。地球が埋蔵する資源に対して、本の表題に試みた「逆転の発想」的アプローチとは裏腹に、著者は従来の固定観念から抜け出せない思考回路に迷い込んでいるようです。あまりに悲観的な考えにのめりこんでパニック症に陥るのもいかがなものかとおもえてくるのです。
そして、ここでも、「リサイクル」の重要性、「リサイクル技術向上」の必要性が大きくクローズアップされてくるように思われます。
 次に、この章の主題からいささか外れ、「大自然は地球の誕生以来、40憶年以上かけて資源を貯めてくれたのですが、人間はここ100年くらいの間にそれを使い尽くすというペースなのです。」として、この問題をどうして解決すればよいかを、述べています。
すなわち、解決方法として、まず人が使って一旦不要になったものを全て「ゴミ」とし、なにもかものゴミ(但し有毒物は別扱いにする)をいっしょくたにして各自治体の焼却場で焼却し、残った灰をどこか遠くの場所に運び、貯め込み、灰の山を造って人口の鉱山にする。この鉱山を人は、近い将来、地下埋蔵資源が枯渇したとき、その代替に使用すればよい。といった内容のものであります。 これは、誠に短絡的で乱暴な考え方です。 もともと、物の流れや、抽出は「密」から「粗」へはスムーズに行えますが、「粗」すなわちばらばらに散らばりぐちゃぐちゃに混ざり合った状態から、「密」すなわち一種類で纏まった物の状態にするのは容易なことではないからです。このことは、古紙のリサイクル等に携わってみるとよく分かることです。製紙メーカーから製品を消費者の皆さんに届けるのは簡単ですが、一旦世間に出回った紙製品を古紙として又製紙メーカーに戻す作業は、合理的に行うために、様々な工夫を施さないと一筋縄ではいきかねない難しい作業であることからもよく分かることです。又、近年中国への古紙輸出が、世界規模で行われていますが、最近日本の古紙がその品質の高さから、米国の古紙を凌ぐ評価を得ています。古紙パルプに仕上げた際の繊維の長さや、強度といった面での品質は、バージンパルプを多く使用する米国古紙の方が優れているのですが、古紙の銘柄別分別面での優秀さ、不良品の混入割合の少なさといった点では、日本の古紙が、はるかに優れていることからの評価で有ります。その原因は、米国と日本とでは、古紙の回収方法が異なる点にあります。米国では、古紙は分別されずに他の様々な不用品といっしょくたにして各家庭や、事業所からゴミとして排出されるのを、廃棄物業者が、そのまま持ち帰り、その中から古紙を選別して製紙原料にします。一度ぐちゃぐちゃに混ざったゴミから古紙だけを「きれいに」よりだすのは、殆ど不可能に近く、したがってどうしても汚い原料になってしまうのです。それに対して、我が日本の古紙は、各家庭や事業所から排出される段階で、すでにきちんと分別されています。ここでの分別作業はきれいに行う事が十分に可能です。この分別された古紙を、主に古紙回収専門の業者が回収し、さらに分別の確認と選別作業に精査を尽くすのですが、すでに排出段階で分別されているのでこの段階での作業も容易であり、きれいな製紙原料に仕上げるのが可能となるのです。
 この例からも分かるように、全ての不用品をゴミとしていっしょくたに焼却し、色々なものがぐちゃぐちゃに混ざり合った、「混沌の灰鉱山」からは、自然が造ってくれた地下埋蔵資源と同じように、将来、人間が必要とする資源を、簡単にきれいに取り出せる筈がありません。
それは、もし、現在の地下埋蔵資源が、鉄も胴も、そしてアルミニュウム、金、銀、亜鉛やニッケルといったものまでもが、混然と混ざりあった一つの鉱脈として存在すると考え直すことで、誤りであることがよく分かります。
大自然が40億年以上かけてつくり上げ、貯めてくれた貴重な種々の資源と同等のものを得ようとして、人間がこのように安易な考え方と、乱暴な方法で対応しようと試みるのは、自然に対する卑小な人間のある種、冒とくといっても過言ではない行為といえましょう。
 著者は繰り返し、世界の森林が地球環境にどれ程大切かを述べ、人は今以上に森林を利用してはいけないという一方で、紙をリサイクルしてはいけないともいうのですが、現在世界規模で推進されている古紙利用をすっかりやめてしまい、なお変わらぬ紙の需要を満たそうとすれば、今利用している何十倍、何百倍もの森林を利用しなくてはならなくなってしまうことでしょう。
 このように検証を進めてきますと、「リサイクルしてはいけない」という表題が人間社会の抱える環境問題に対していかに大きな過ちを犯しかねなく、且つその本の内容は誤謬にみちたものであるか、ということが判明してまいりました。
 地球環境がいま、人間によって破壊されようとしている、と言われています。
 この危機的状況を打開するために私達は、心の持ち様として、先ず、自然に対する深い敬愛の念と人以外の存在に対する謙虚な姿勢を持つことから始めなければならないようにおもわれます。我が国には、“我ただ足るを知る”という言葉がありますが、“もったいない”が世界語になりつつあるように、この言葉の意味も世界の人々が共有しなければならない時がきているのではないでしょうか。
物質的な欲望には、もうこの辺で十分に満足しましょう。
私達はもう、十二分に地球から与えられ、そして奪い取って来たのです。
人はもうこれ以上“人間社会の枠外”に物を求める事をやめましょう。
 この考え方は、だからといって、宗教界の僧侶達のように禁欲的な生活を送ろうというのではありません。今以上に、地球から新しくものを得ようとしないことを基本にした上で、物質的充足感をも得られる人間社会を創っていこうという考え方なのです。
例えば自動車については、一台の車を、最低でも100年は使えるように、つまり、新車をつくる科学技術を、より遥かに少ないエネルギーで修理、改善、再生する科学技術に変えてしまい、簡単に新車に乗り換えてしまうのと同程度の満足感をえられるようにする、といった類への人間社会全域に亘る変革です。
紙については、再生紙に対し、先ずその価値観を、世の人皆が、色は限りなく白から遠ざかり、斑点は多いほど、そして余程優しく丁寧に扱わないと強度が持たないといったところに見出し、価格には、より高い代価を惜しまず、それを使用することに誇りと、ステータスさえ持つ、というように、心を変改するのです。当然ですが、製紙メーカーはそれに甘えるのではなく、市場の競争原理に基づき、環境に負荷を与えぬ範囲で、品質向上と価格面での普及に努めなければなりません。
さらには、「人の尊厳」といった深淵に臨むがごとき思考領域にまでも踏み込み、一度、「人以外全ての存在」に対比させての、この領域における考え方も、模索してみる必要があるのではないでしょうか。
環境問題に対し、このように人間社会を変改していくためには、循環型社会の構築が不可欠な要素であり、今、人間社会の枠内にある「もの」を中心にしてリサイクルを継続していくことは正に、最も重要な行為であると言う事が出来るでしょう。
 「初めにリサイクルありき」なのです。
 もちろん、武田邦彦さんは、現在行われている「リサイクル」の方法について種々の問題点を提起してくれました。しかし、だからといって、一気にリサイクルを否定してしまうのはあまりにも、無責任で乱暴な姿勢であります。その前に、リサイクルの問題点とされる部分を改善、解決していく努力に学者としての姿勢を反映させるべきであったとおもわれます。それを出版社共々軽々しく、ポピュリズム的行動に走られたのは、間違いでありました。
 難しい問題を解決しようとする時、試行錯誤も、辛い方法の一つであり、その結果として、大きな成果を得る答えも見出す事が出来ますが、途中でやめてしまっては答えはいつまで経っても出て来ません。試行錯誤の末にも、物のリサイクルを、地球に負荷を与えず、合理的に行える方法を完成させたならば、人間社会の枠内だけに限ってリサイクルを繰り返し、人以外の存在には関与する事の無い良好な循環型社会を形成する事に成功し、地球環境問題は大きな前進を遂げる事が出来るでしょう。
 おりしも、日経新聞の広告欄に、この度、武田邦彦さんの「偽善エコロジー」という本が出版されたと、大きく掲載されておりました。そして、その広告欄に細かく並べられた小見出しを見るだけで、内容は、殆ど「リサイクルしてはいけない」と変わるものではないであろう事が容易に推測できました。もう、これを買って来て読む気にはなれませんが、終りに際して、その小見出しの一番右肩にある文言を紹介しておきましょう。
 「リサイクルに使われる税金は年間5000憶円!」とあります。
 だが、言わせて下さい!  
 「リサイクルに使われる税金は年間5000憶円だという事ですが、これが多いか少ないか、或いは必要か不必要かはよく分かりません。ですが、はっきり言える事は、この本が出版され、購読されることにより、社会の善良な人々は大いに惑わされ、出版社や、ポピュリズムに傾斜した著者等が得る印税等の多分に少なくはないであろうと思われる収入は、 社会や地球環境に、5000憶円どころではない、お金には代えられない程の莫大な損害を、その代償として支払わせるという、不幸な結果をもたらす事になるでしょう!」 と。
                                                 (完)
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by morinonusi | 2008-06-05 14:27 | Comments(0)