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初めにリサイクルありき -(二)ー

 リサイクルしてはいけない(武田邦彦 著 青春出版社発行)という本の表題に疑問を呈し、「第2章 大切な“遺産”をどんどん食いつぶす再生紙」に限っての検証を続けましょう。この章では二つ目の項が、 「森林で紙に使用されているのはわずか3%」 という見出しになっています。紙のもとになる世界の森林について、先進国と熱帯雨林などを抱える開発途上国とでは、その利用の仕方が異なるとし、「開発途上国の森林で紙に使われるのはわずか3%です。」というわけです。勿論異なる利用の仕方はきちんと述べられていますが、問題は、「利用」される先進国の森林と開発途上国の森林は全く異なる類のものであることを、明確に指摘していない点であります。つまり先進国で利用される森林は、その殆どが一定周期を繰り返し循環再生される「人工林」であるのに対して、開発途上国の森林はその多くが熱帯雨林を含むかけがえのない「自然林」「天然林」であるという極めて重要な分類を外して記述が進めらているのです。
 先進国で利用される森林、「人工林」は建築用製材や製紙用パルプ原料等として有効に使われ再生循環されてはおりますが、調和のとれた生き物たちが住む世界では有りません。使用目的に応じた樹木だけが過密に林立し、木々達の悲鳴が聞こえてきそうな殺伐とした世界であります。この光景は、あたかも巨大な養鶏場で、ただ延々と卵を生み続けるために昼夜を分かたず餌の摂取と排泄だけを繰り返す、何万何十万羽もの鶏達の姿をも連想させられてしまう、悲しい光景でもあります。なるほどCO2の吸収効果はありましょうが、それ以外の環境保全効果は期待出来そうに有りません。又、絶えず人の手入れを受けないと、荒れ果ててしまいます。そして我が国に多い針葉樹の人工林は、近年特に深刻さを増す「花粉症」という健康被害を引き起こす元凶ともなっているのです。
 それに対して、熱帯雨林を含む開発途上国の森林の多くは、種々の生き物達が調和の取れた生活を営む世界、私達が理想とする環境の世界、「自然林、天然林」で占められているのです。そして、これらの貴重な森林は人が利用する為に一度破壊してしまうとその修復は、殆ど不可能に近いものなのです。3%という数字は如何にも少ないように思えてしまいますが決して100坪や1,000坪程度のものではないでしょう。それを「たった3%」という言い方で、切り捨ててしまっていいものでしょうか。
 さらに著者はこの項での結論を「紙の原料として先進国の森林はここ15年間、わずかですが増加しています(15年間で3%ほど増加)。森林が減少しているのは開発途上国ですが(同じく15年間で6%減少)、」として、世界の森林はトータル的に見てわざわざ紙をリサイクルしなくても大丈夫、保たれていると言いたいようでありますが、その背景となっている重要な前提条件をきちんと文言で関連付けて表わさず、別のページ一枚を使い、「日本の木と紙の利用」と題し、さりげなく参考資料として記載しているに過ぎません。
 すなわち、日本の紙は、年間、約3,000万トンが使用されていて、その原料には、1,500万トンもの回収古紙が使用されているという重要な前提条件であります。この、我が国だけでも1,500万トンに上る莫大な量の古紙リサイクルをやめてしまって、木材パルプにその代替を求めたならば、到底、現状として著者が記述している世界の森林状況が成立するとは思えません。もし、この重要な事実を世界の森林の保全状況とリンクさせて述べたならば、「現在、紙のリサイクルが熱心に行われている御かげで森林はかろうじて保全されているに過ぎず、したがって紙のさらなるリサイクル推進により、一層の森林保全を目指すべきである。況や開発途上国で利用されている熱帯雨林を含む貴重な森林の内、紙に使われている3%もの利用は止めるべき方向にもっていかなければならない。そして、先進国の人口林は無計画に増やすべきではない。それよりも、我が国の「里山」に見られるように、言わば、絶滅の危機に瀕している鳥や獣達の種を保存するような慎重さで、自然林を育てる努力をしなければならない」。と結論付ける事になった筈であります。
 

# by morinonusi | 2008-05-29 17:18 | Comments(0)  

初めにリサイクルありき

 昨年のいつ頃からだったろうか、絶えず気に掛って心の片隅にわだかまり、残り続けて来た疑問がありました。武田邦彦さんが著した本が冠している、「リサイクルしてはいけない」(青春出版社)と言う表題の事であります。新聞広告で知ったのか、知人から聞いたのか、記憶は定かで無いのですが、とにもかくにも、環境問題が深刻な今の時代には、考えられない主張でもあり、気にしなくても何れ誰かが、或いは著者ご本人かが、この提言、主張は的を得ていなかった旨のコメントなり、文書なりを公にして下さるものと思っておりまた。しかるに、一部、この主張に対する反論らしきものが見受けられはするものの、むしろ、この本が話題になってきている事へのいらだちと疑問の念であります。
 そこで、とうとうこの本を手に取って読んで見なければならなくなってしまいました。読みながら、そして一部を読み終わって、結論から言ってしまいますと、「やれやれ安心!今までの取り組みに間違いは無かった!、やはりこの表題は全く的を得ていない!今の時代にそぐわない!環境問題に真面目に取り組んでいる善良な人々を惑わし、間違った方向へと導いてしまう内容の提言である。」と確信するに至った次第であります。
  「森の守人」としては、その性格上、この著書の「第2章 大切な“遺産”をどんどん食いつぶす再生紙」、の部分に限り、論じさせて頂く事へのお許しを得て、以下にこの章の各項目ごとに検証を試みさせて頂く事にしましょう。
 この章の最初に著者は、地球上に在る資源の内、石油や石炭、鉄鉱石のように蓄積され固定されたものを「遺産」型、草木や魚のように太陽の恵みを源として生々流転、循環するものを「月給」又は、「売り上げ」型の資源と、解り易く大別した上、せっかく「月給」型の資源があるのに「遺産」型の資源を使用して紙をリサイクルすると言う矛盾、といった言い回しで、紙をリサイクルする行為は、あたかも「毎月の売り上げを取りにもいかずに、隣の銀行で貯金を下ろす方が簡単だ」とばかりに、つまり「月給」型の資源をきちんと使わず、「遺産」型の資源を無駄に使用しているかの様な印象を読者に与えてしまう記述をされていますが、これは実に危うい言い回しであります。何故なら、ここで言う所の「月給」型資源、つまり森は、使わずに貯めれば貯めるほど、極言すれば、地球上を覆い尽くす程に「貯めても」、今や益こそあれ害はない資源であるという事、そして、隣の銀行にある貯金については、「月給」を使わずに節約して貯めたものも、「遺産」を原資とした貯金とは別にある筈なのに、それ等を省略してしまっているのです。紙のリサイクルは、「月給」をより多く貯金にまわす為に行っているのだという事実を、矛盾という言い方で簡単に否定してしまった。言わなければならなかったのは、紙のリサイクルで「月給」型資源、つまり森を、紙を造る為の、手入れをしないと健全な維持が出来ない人工林としてでは無く、自然環境を取り戻す為に100年以上先を見据えた「自然の森」として貯金し、問題は、紙のリサイクルに使う「遺産」型資源の使用量を如何に少なくするかに努力を傾注しなければならない。という事であったのです。
 高度にレベルアップされた紙のリサイクルは、その事により、地球上を覆い尽くすばかりに貯められた、人工林ではない真に価値ある本来の森、「自然の森」という「月給」型資源が吸収するCO2により、リサイクルの過程で発生するCO2の相当量を相殺しながら、遂行する事が出来る様になるでしょう。又、人工林の間伐材や建築廃材は、パルプ原料にまわされる事を免れ、バイオエタノールに再生、石油に代わるエネルギー源としての燃焼により、CO2に戻され、このCO2は、又、木に吸収固定されるという、本来あるべき正規のリサイクルルートに乗せられるようにもなる事でしょう。 CO2の削減は、地球の温暖化を防ぎます。
 紙の製造と環境問題について、著者は、冒頭より、「初めにリサイクルありき」という、環境問題を改善する為には避けて通る事が出来ない原則に対して、「逆転の発想」的アプローチを、慎むべきでありました。
 次回からは、次の項へと進んでさらに詳しく、この本の表題への検証を行って見たいと思っております。

# by morinonusi | 2008-05-09 20:50 | Comments(0)  

第三回目のユーカリ植樹は天理店で実施

 古紙ドライブスルーユーカリが、ご来店ご利用下さるお客様方に代わって実施するユーカリ植樹活動。
 第三回目は3月26日午前9時すぎ、ユーカリ天理店で開始、10本の苗木が健やかな成長への願いを込めて植えられた。これでユーカリ木津川園の20本と合わせて30本が植わった事になる。
 今回お客様方の代行を務めたのは新井社長引率のもと、エクセルヴェルデスタッフの協力を得ながらの、株式会社アライの森若手従業員、岩本、金只の両氏。
 岩本は、IT分野に明るく会社経理業務のエキスパートとして活躍する、真面目な性格ながらも男のダンディズムを漂わす好青年。金只は、強い正義感に燃えるクールな熱血漢。
 この二人の若者の手によって植えられたユーカリの苗木は、これから先、光合成を繰り返しながらユーカリの木として大きく成長し続ける事だろう。対して、二人の若者は、今、ユーカリを植えている自分という実存を有するのみであり、これから先は限りなく広がる可能性にチャレンジしながら自らの人生を彼ら自らの手で築き上げて行くことが出来る。
 植えられるものと植えるもの、相対するこの彼我の違いは、ただそれだけのものであると言える反面、同時にそれ程までに大きな違いを持つものなのであるという事も認識しなければならない。
 若き日の岩本と金只、この二人の若者にとって、この日はキラリと光る共通のワンシーンとなり、彼らそれぞれの人生の中に鮮やかな記憶として輝き続ける事だろう。
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# by morinonusi | 2008-04-17 17:36 | Comments(0)  

古紙ドライブスルーユーカリ二月度ユーカリ植樹実施

 古紙ドライブスルーユーカリでは、第二回目にして二月度分となるユーカリの植樹を、平成20年2月23日、木津川店に於いて実施した。この日は午前9時から株式会社アライの森より新井社長、新井常務と、日頃現場の二本柱となって活躍している光泉課長、森主任、そしてエクセルヴェルデからはスタッフ四名の、合わせて8名が参加しての活動となった。
 特に今回初参加の光泉、森両氏が、思いも新たに、日頃手にするトラックやショベルカーのステアリングをスコップに変え、感慨深げにユーカリを植える姿が印象的な植樹会であった。やはり、参加する事で環境保全の一端に貢献しているのだという実感を得ることが出来るのも、この活動の大切な一面であるのかも知れない。
 ともあれ、これで一月植樹分と合わせて20本になったわけであるが、改めて驚かされたのはユーカリの木の成長の早さであった。それは、前回一月分として植えた木と今回植えた木とが、大きさにおいて10本づつはっきりと区別出来ることでよく分る程のものであった。知っていたつもりではあったが、これ程のものとは思っていなかった。「さすが、ユーカリの木やなあ!」「やっぱり、ユーカリにしてよかった・・・」などと話しながら、「そしたら皆で記念写真や」と、植え終わったところで、「一の次は!!」 「にー」と、パチリ、有意義な内にも和やかな植樹会であった。
 「木津川店での植樹はこの20本で完了とし、“木津川ユーカリ園”として、美しい管理を心掛けたい」と新井社長。日頃、環境保全への願いをこめてご来店いただく皆様方の思いを胸に、次回、3月は場所を「古紙ドライブスルーユーカリ天理店」に移しての実施を予定している、との事。この活動の拡大進展を期待するものである。
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# by morinonusi | 2008-02-26 15:57 | Comments(0)  

米をガソリンに変えてしまわないで下さい

 地球温暖化抑制の観点から、バイオエタノールについての研究、開発そして実用化への取り組みが進められています。温室効果を持つCO2削減のためには循環型社会を構築する事が重要であり、バイオエタノールの実用化はそれに大きく貢献出来るからです。
現在、バイオエタノールの原料はセルロース系資源から得られているようです。従って稲わら等の農産廃棄物、都市ごみに含まれる繊維資源、えっ!と驚かされますが、新聞古紙等々が循環可能なエタノールの原料となるようです。そこで思うのですが、車を走らせていて目につく道路の両側や河川敷、堤防等に生い茂る背の高い雑草類や雑木、山間部に入れば森の下草類なども、エタノールの大切な原料となるのではないでしょうか。今のところ、これらは邪魔者扱いにされ、高いコストをかけて行政当局や、土地所有者が刈り取り、切り取って焼却処分にしてしまっているようです。他にもじっくり探せば色々有効な循環型エタノール原料は在るように思われます。
 このように、環境保全を目的とした循環型社会構築に必要な、バイオ燃料を含む、各種製品の原料調達は、リサイクルを基本にしなければうまくいかないと思われます。
 バイオエタノールの使用が重要だからと言って、安易に大豆やトウモロコシなど、従来、食料、飼料とされてきた大切な農作物をその原料にしてしまってはなりません。米国をはじめ世界各国でこの事が行われたため、今、食の分野に大きな異変が起こってきております。身近なところでは各種食品の値上がり、世界を見渡せば、貧しい国々の人達に忍び寄る食糧危機などがそれであり、これらは深刻な問題といえましょう。
 おりしも、平成20年2月21日付日経新聞夕刊の“おコメ変身”という見出しのコーナーに、我が国で、米を原料としてバイオエタノールを造り、それをガソリンにしてしまおうという研究がなされ、実用化が間近に迫っている、という内容の記事が掲載されておりました。
 この記事を目にすると同時に、驚きというかあきれるというか、憤りさえ覚えるような感情がこみ上げて参りました。
 何という事でしょう、米を、日本人にとって主食の大切な米を車を走らせるためのガソリンにしてしまおう、というのです。
 子供のころ、家族で輪になっての食事時よく親から、茶碗に残った、たとえ一粒のご飯粒であっても、農家の方々が年に一度の収穫に丹精込めて作って下さったお米なのだから、粗末にしてはだめだ、と教えられ丁寧に食べた記憶が残る私には、到底納得が出来ない内容の記事でした。
 特集記事の性格から、新聞社サイドとしても、批判的な書き方は出来なかったものと思われますが、これは如何なものでしょう。勿論、我が国農家の苦境や農業の経済的活性化、そして休耕田という、場当たり的な悪政が生んだ“もったいない”存在等の問題は、早急に解決を迫られている喫緊の課題では有りましょう。
 しかし、これらの課題は、食生活の枠内を超えて解決しようとしてはならないと思うのです。
 あの大戦から見事に立ち直り、経済大国として立派に発展を遂げてきた我が国ではありますが、反面、食料の自給率については衰退の道を辿ったといっても過言ではなく、日常私達が口にするほとんどの食材が今や輸入に頼るしかなくなっているのは、周知の事実であります。この事実は、やや飛躍した例になりますが、我が国が他国からの武力攻撃に対し自衛の能力に欠け、米国の守りに頼るしかないという危うさとも通じるところがあるようにも感じられてしまうからです。食料の自給率を確保し、さらに世界の食料事情にも貢献する事に休耕田を活用する等の方向性を持って、農業の活性化を図る事が肝要であります。
 もし、この度のプロジェクト関係者の方々が「いや、目的はどうあれ、先ずは休耕田を活用する事が肝心で食料事情に問題が生ずれば、その時に方針を転換すればよい」と考えているとすれば、それは危険で安易な考え、と言わざるを得ません。なぜなら、先ず、このプロジェクトが実用化されるや、世界一の品質を誇って来た国産米は“悪貨は良貨を駆逐する”が如く低品質となって流通市場を席巻してしまうことになるでしょう。そして、農家の人々から品質向上に対するあくなき努力への情熱を失わせ、優れた品質の美味しいお米は姿を消してしまう事になりましょう。さらに、市場原理に基づく自由主義経済が成熟しつつある現在社会にあっては、このプロジェクト実用化と同時に、コメは必要な食の確保とは無関係な、価格に左右されるだけの流通を開始し、需給に著しい不均衡を惹起する事が、懸念されます。この事は現在すでに大豆やトウモロコシといった穀物流通市場において実際起こっている現象であり、懸念が現実のものとなる可能性を示唆していると言えるからであります。
 コメは、我が国食材のなかで数少ない自給可能な、しかも日本人にとってなくてはならない貴重な主食料品であります。これをガソリンに変えてしまう行為は、日本人の持つ倫理感、日本人としてのアイデンティティーにも逆らうものと思われるのです。
 空気は別にして、水より大切な資源(自然)を私には思い到るものがありません。同じように日本人にとって米より大切な食材を挙げる事は出来ないでしょう。
 米からバイオエタノールを取り出そうと企んでおられる研究者、組織、企業、学会の皆様に猛省を求めたく思います。
 どうか、お米をガソリンに変えてしまうのはやめてください。

# by morinonusi | 2008-02-24 13:17 | Comments(0)